向こうで思ったこと。

 言いたいことというか、どうしても消化できないことが今回は2点ほどありました。
 わたしの心が狭いんだろうけど。

 1つ目が、同じ班になったオヤジのこと。
 出会って初っ端、各地のボランティアに何度となく行ってて、東北も何度目だ、と自己紹介してまして。
 まあ、それだけなら心強いな、で終わったのですが、自分の笛を班長に渡して、休憩時間になったら吹け、と言い出した。
 うん、まあ、みんな作業に熱中してしまって、なかなか一斉休憩に出来ないこともあるから正しいとは思うけど・・・でも全体の責任者が他に居るんだよ?
 何かこの辺から、西村さんの違和感が始まりました(早い)
 ヘルメットに対しては、「普通、ヘルメットが必要なところで作業なんて絶対させない」と言い、雨作業に関しては「普通、雨作業は何があるかわからないから絶対にさせない」と言う。
 床下の砂の掻き出しや、室内での分別もあるから、落下物が予想されるところではヘルメット着用が基本です。
 雨に関しては崖近くや地震の多かった時期や、福島では被曝の恐れがあってさせていないけど、それだといつまでも片付かないから今は浅い側溝くらいならやっているのです。
 自分が見て来た、感じて来たことがすべて正しいなんてことは、この非常事態にはないのだよ。

 作業自体も、経験者だから率先して動くのは良いけど、ああしろこうしろ、と他班に口出しして、気が付くと違う班で作業してる。必要な道具があっても、あれ持って来い、これ持って来い、と言うだけで自分から取りに行くことは稀。道具の類は数が少ないから、叫ぶだけで誰かが持って来てくれる、なんてことはほぼあり得ないのです。
 で、目先の気になったところに口出ししていくから、自分の今まで手掛けていたところが杜撰。それがはっきりわかったのは作業ではなく、草むしりの時ですが。お前のやったところ、草生えっぱなし!全然綺麗になってない!!
 まあ、それらはそういう人間なんだ、と思って我慢出来ました。誰かに教えたい、首を突っ込みたい気持ちは西村さんにもあるし、あっち行ったりこっち行ったりしちゃうのは性格なんだろう。
 毎日忘れ物したりするんだよ・・・落として来たり、人の手袋間違えたり・・・性格と言うより年齢の問題か?
 あと、やたら被災地で写真を撮るべきじゃない、俺は殆ど撮らないとか最初に言ってたけど、割と撮ってました(笑)

 これらは大体我慢できるけど、でもね、「こんな人の少ないボランティアセンターはない」「これじゃだめだ」って言うのはどうよ?
 二言目には、「うちのボラセンは」「うちのボラセンは」って、さー(常日頃から森林ボランティアをやっているらしい)
 その言葉を聞くたびにどんどん西村さんは白けたし、尊敬できなくなって行ったのでした。
 これは2つ目でもあるので、ちょっと待って。

 で、どーしても我慢ならなかったのが、「こんな恵まれているボランティアはない」って話。
 夕ご飯の後、飲んでた時だったのでキレた。
 恵まれてて楽なのは確かだし、自分でもそう思ってる。
 でも、人にはそれぞれ事情があって、大きな車を持ってない、女性だからテントを張ったり車中泊は出来ない、一緒に来てくれる人もいないといった、二の足を踏む理由がある。
 だからこそ、そういう自分たちでも参加できるこの場にいるのであって、自力で行けるなら行ってる。自力で行ける奴は自分で行けばいいじゃないか、恵まれているっていうなら、何でここに参加してるんだよ!と、そんな事を力説しました。
 何度も被災地で活動してきたのは偉いけど、だからと言ってそうじゃない人を貶めるような発言が我慢できなかったの。こんな楽であっても、みんな自分なりの勇気を出して来てるんだよ!
 たまたま手が空いたから来てやった、みたいなことを言ってたけど、そんなに文句言うなら自分でで来いよ!倍率高くて断られた人もいて、お前来なきゃ他の人が来られたんだぞ!!(さすがにここまでは言わなかったけど)
 一緒にいた班長が自分の発言が癇に障ったと思ったらしく、謝られたけど、違うよ。
 次の日から「うちのボラセンは」って言う回数が減ったので、自分に対して言ったのだと気付いたのかも。 続きを読む>>

岩手の報告。

 今回のボランティアは岩手県。
 作業場所は陸前高田市と大船渡市と聞いていましたが、うちの班は結局、5日間大船渡市でした。
 しかも全日、側溝の土砂の掻き出し。
 別に不満がある訳ではないけど、初めての人には生活用品と瓦礫とさまざまな物が一括りの「ゴミ」になってしまった状態を経験して欲しかったし、それ故少しやりたかったな(側溝の方が達成感あって好きなんだけどね)
 あと、陸前高田でも作業してみたかった。
 地域や環境によって、同じ側溝であっても少しずつ違う。
 いわきは圧倒的に砂が多かったけど、大船渡の漁港はヘドロも混ざっていたし、大船渡でも堤防に近いところは砂が多い。民家が近くにあったら場所なら瓦や瓦礫、生活用品が埋まっていることも多い。
 そう考えると、やっぱり陸前高田でも作業したかったのでした。

 18日 移動日。朝早いのでタクシーで駅まで。
 19日 作業1日目は名前忘れちゃったけど、小さな漁港だったところで、すぐ側で地元の漁師さんが仕掛けを準備してた。
 人数多く、さらに経験者も少ないので、率先して掘る。
 ヘドロもちょっと底に溜まっていたので、気が付いたらわりと汚れてた。顔も汚れてた。
 20日 雨。現場は三陸町越喜来の堤防近く。溜まった砂を掻き出すと、水が流れ込んで砂が重くなる。合羽着用で音が聞こえにくいし、時々車が通る道なので、率先して車が通る時には声掛けする。
 午前で作業終わり。
 「道の駅さんりく」で昼ごはん。西村さんはお弁当のおにぎり食べたけど、他の人は蕎麦とか食べてて、美味そうだった。食べれば良かったなー
 21日 雨。昨日よりちょっと先の崎浜地区で作業。雨のため陸前高田班も一緒のため、相当な人数。やっぱり今日も声掛けするように気を付ける。
 午前中で終わったけど、今日は「道の駅さんりく」でご飯じゃなかった。ちっ、今日行ったら蕎麦じゃなく、さんま定食(650円)食べようと思ったのにな。
 22日 台風去って、曇り。越喜来の甫嶺駅近くで、今日も陸前高田班と一緒に作業。
 さすがにチームワークも良くなって来たし、車が通るとみんな声を出して注意を促すようになってきた。良いことだ。
 人数が多いので、かなりの長さを作業。
 お昼は被災した甫嶺駅のホームに座って食べた。
 23日 作業最終日。2日目の現場の、川を挟んだすぐ反対側で作業。天気もそこそこ良くなって、ようやくちょっとだけ汗ばむ。
 昼休み、堤防まで行ってみたが、途中に片付いていない小学校などもあってかなり酷い。
 あと、人がいなくなったためか、かもめが一杯いた。
 24日 地元との交流。地域ボランティアとして、午前中にベースキャンプで借りていた小学校の草むしりをちょこっと。
 花壇の前に小さな側溝があり、砂がかなり詰まっていたのですが、やらなくて良いと言われていた。
 でもみんな、「気になる!やりたい!!」と口々に言う。
 うん、気になるよね・・・しばらく地元に帰っても、そう感じるよ。結局、ちょこっと側溝掻き出した。
 午後は地元の人ほぼ総出?って規模の、祭りみたいな感じの交流会。地元の盆踊りとか踊ってたし。
 労われるのかと思ったら、むしろ村人を接待みたいな形でバタバタしてた。
 21時過ぎにバスで東京に帰る。
 25日 早朝東京着。 続きを読む>>

作業7日目(最終日)

 今日は、初日にお邪魔した久ノ浜のお宅からすぐの、高架沿いの深さ1メートルくらいの側溝の砂の掻き出し。
 海の側だからどうしても砂が堆積してしまい、流れなくなっているのです。
 大きい側溝は蓋も大きく、重さが60キロくらいあるらしいですが、そんなのも流れ込んだ津波で押し上げられ、側溝の中に落ちていたり・・・津波怖い。
7日目その1
 二人掛かりで道具を使って開けて貰った側溝に、意気揚々と下りて作業。ちょっぴり臭いけど、やっぱり全然平気だった。
 砂や瓦礫を取り除くと、段々流れが良くなるのが楽しい。
 小さいエビかと思ったら、ザリガニが居ましたよ。4,5センチくらいで半透明だった。
 植物もそうだけど、生き物も強いなあ。

 午後は四倉港に近い海から一歩入った、住宅脇の小さな側溝。
 70メートルくらいの距離があるので、継続になるのが判っていながらもみんな必死で掻き出す。
 小さい側溝は高さがないから楽。高さがあるとその分高くスコップを持ち上げないといけないから。
 ここで、側溝の蓋を開けさせて貰いました。
 何かねー、楽しそうでやってみたかったのよ。
 一個一個はそれほど重くないけど、続けてやるとさすがに大変。でも周りが心配する程ではなかったよ・・・

 予定では午前の作業が1時間くらいで、その後2件目をやって午後はなしと聞いていたのだけれど、結局最初のが午前いっぱい、午後も14時半とかだったので、いつもとあまり変わらなかった・・・
7日目その2 続きを読む>>

作業6日目。

 6日目は再び個人宅。
 4日目にも行った、豊間地区でした。
4日目その1
 4日目の時の近所の海。海に面した家は、土台を残して流れてしまいました。

 広い庭の砂の中の瓦礫を取り除く作業。
 ホントは全部土のう袋に詰め込んで廃棄してしまうのが楽なんだけど、要望で砂はそのまま。
 最初は全員で砂をふるいに掛ける作業の予定でしたが、うちの班だけ依頼人に声を掛けられて、母屋の前での作業。津波の前までは綺麗な躑躅が植えられた築山があったそうで、その跡地に流入した砂を依頼主のおじいさんがかき集め、盛ってありました。
 それを平たく均して欲しいという話でしたが、この砂の上にいずれ土を持ってまた以前のような築山にするとのこと。
 それならば瓦礫やガラスが混ざったままは危ないので、掘り返して取り除きつつ均すことに。
 班員7名で2時間くらいで完了。

 さらにその続きで草の生えた、駐車場だったらしい場所の草刈りと瓦礫拾い。どうやら元々それほど生えていなかった草は、波と一緒に種が運ばれて来たそう。
 ここのお宅は広く、一日で終わらないためもう何日にも亘って継続して作業をしている案件。ご夫婦もその都度手伝おうとするらしいのですが、疲労しているとのことで休ませるように事前に言われていたのですが、やっぱりどんなに座っているように言っても手伝おうとする。
 作業してみて、やっぱりどこのお宅でも、お年寄りほどそうやって手伝おうとするんだよね・・・
 けど、話をしている間は手が止まるし、一回話し出すと長いから、たぶん話を聴いて欲しいんだろう。
 みんなもそれに気付いたみたいで、自然と、無理に遠ざけようとせず、なるべく話し相手になりながらの作業となりました。 続きを読む>>

作業2~5日目

 作業2日目は資材班。
 資材班はボランティアセンターで、ボランティアさんにスコップや土のう袋などの道具を貸し出す係。いわきのセンターでのこの係は連合が専任でやっているらしい。
 で、受付を済ませてリストを持ってきた人に品出しをするわけだけど、作業が始めてで何が必要か良くわかってないチームもあるので、それなりに内容を確認したりして物を出す(側溝掃除があるなら先のとがった剣スコだけでなく四角い角スコ→角型のスコップを出したりとか)
 慣れないと大変だけど、前日もこの係りをやっていた同室のI口さんがチェックするのをメインで頑張ってくれたので、西村さんは道具を揃えるる方に集中。
 平日なので3人での対応でしたが、昨日の休みよりずっとボランティア数も少ないので割りと暇な時間帯があったり。こんなに楽な仕事があって良いのか?とちょっと思ってしまうのでした。
 でもまあ朝夕のピーク時にはちょっとばたばたしたり、汚れて戻って来たスコップやバケツを洗ったりして、一日それなりに働いたのでした。

 スコップの砂をブラシで落としている時、海の砂であることに気づく。海の香りがするんだよ・・・ 続きを読む>>

作業1日目。

 1日目の作業が終わって、帰って来てお風呂に入ったところです。

 昨日は朝から東京へ移動、オリエンテーション受けて、今度はバスで福島に移動。15時くらいに到着して、ちょっとした打合せ(待機時間という名のごろごろが長かった)
 夕ご飯は近所の居酒屋さんで、同じ作業班になった人たちと軽く飲みました。
 なんていうかね、ベースキャンプにしてる宿泊施設近辺は、たぶんみんなが思っている以上に普通です。たまに瓦が落ちてブルーシート掛けてる家があるくらい。
 買い物出来る店も近所にたくさんあるので、小物類は何にもいらなかったかも(一番近いコンビには100メートル離れていない)

 そして今日は作業1日目。朝、ボランティアセンターに寄ってから、海沿いの作業現場に向かう。
 今日は全班で民家の敷地の瓦礫等の仕分けでした。家財や建物が全然片付づいてないから重機が入れないらしい。
 行く途中、海沿いに出たらやっぱり被害が格段に多くて、というか、海沿いに建物が並んでいたんだよね。そりゃ流されるわ、ってくらい海に近い。
 お邪魔したお宅も庭が堤防に面していて、海なし県の人間としてはびっくり。ここに住んだら絶対落ち着かないわ・・・
 45分作業して、15分休憩、そのくらいのペースで作業しましたが、曇りで涼し目なのに超汗だく。っていうか、防塵マスクがすごい暑い・・・
 でもそのおかげでくしゃみや鼻水も出なかったので良かったけど。
 最初は終わるのか?と思えた結構な家財が、終了の15時近くには何とか分別完了。人数いるからと言ってしまえばそれまでだけど、人間の力ってすげえな! 続きを読む>>