書下ろし長編、「鍵の掛った男」の上手さ。

 10月8日に有栖川有栖先生の新刊、「鍵の掛った男」が発売になりました。
 舞台は大阪、中之島。
 ホテルに長期滞在していた男が遺体で見つかった。
 警察は自殺と判断したものの、ホテルを定宿としていた作家は納得が行かず、有栖川有栖を通じて火村英生に真相究明を依頼する。
 多忙の火村に代わり捜査を始めたアリスだが、謎だった男の過去が明らかになるにつれ、自殺説が濃厚となるが・・・

 とまあ、ホテルの部屋で死んでいた男の過去を主にアリスが探っていく話です。
 これを普通の作家が書くと、過去を探る過程だけでミステリとしてしまったり、殺人犯を追ううちに過去が明らかになっていくのですが、そこは有栖川先生、どんどん自殺説が濃厚になっていくのをひっくり返す手口が上手い。
 ガチガチな密室でも犯人当てでもなければ、大仕掛けなどんでん返しでもない。けれどコツコツ積み上げたものが少しずつ機能して、やがて違和感なく収まる。
 動機や犯行の手口が自然かどうかはわからない。無理があるかもしれない。それでもこれが真相でしかありえない、そんな繊細なミステリ。
 タイトルも派手ではないが、良い。
 殺された男の鍵の掛った人生。他人の人生を覗くことは時として嫌なものにもなりかねない。
 追体験する中で全ての人間が清く正しく生きているのではない、それでも生きていて良いのだと言われているような気にさえなる。

 デビューして間もなくは話が古くなることを恐れ、色あせない固有名詞しか使用していなかった有栖川先生だが、舞台となる街を描写するに当たり現在の大阪をそのまま伝えている。
 ビル名も立地も建て替えの予定さえも今の大阪である。
 男の人生も西暦からすべて細かく設定されている(物語の上で大事だからだけど)
 スマホもスマホとして登場する。
 どうにも逆らえない時代の流れがあって仕方なく、というよりはあえてこれらを排除しなかったように感じる。今の大阪を描く、そういう意図があったのではないかと思う。
 「幻坂」で天王寺近辺の今昔を描いたが、郷土への愛着が強く感じる内容だった。「鍵の掛った男」も同様に変わりゆく大阪を文章で後世へ残そうという思いに基づいているようにも感じられる。
 30年も昔であれば、過去や素性がわからない、話そうとしない人間はそれだけで不審者で犯罪者扱いであっただろう。そのような人間が小さなホテルとはいえスイートルームに長期滞在すれば早い段階で警察へ通報されたに違いない。
 けれど現代において他人と必要以上に交わらない人間は多く、またそういう人間すら内包してくれそうな大阪という雑多な街ならば、違和感なく生活を続けることが出来るだろう。そういう舞台だからこそ成立する物語なのであり、そのためには現代を描く必要があった、と考えられる。
 有栖川有栖という稀有な才能の脂の乗った現在の筆と、現代の大阪という二つが出会ったからこその物語は、地味ながらも素晴らしい物語に仕上がっている。 続きを読む>>