<< 通常営業です。 | main | 「嘆きの丘の聖なる星」観たよ。 >>

ボランティア後、まとめ。

 ぼちぼち記入していたいわきでの出来事も、一応書き終えました。
 かなり端折った日もあるし、前後している部分や重複もあるけどね・・・
 ボランティアに参加して、思ったことがいくつかあります。
 さらに重複している部分もあるけど、皆に知って欲しい、覚えて置いて貰いたい事もあるので、書くね(自分のための記録しか書かない西村さんにしては、珍しい)

・ボランティアというけれど、楽しい。
 自我を抑えて苦しくて大変で、というイメージがあるけど(そういう個所もあるかもしれないけど)違う。
 自分の家の庭を掃除するような感覚。広い自分の庭、日本を掃除しているだけ。

・ボランティアは一日でも良い。
 短期は迷惑というのは震災直後の混乱している時の話。今は各地のボランティアセンターが効率よく取りまとめてくれていて、作業は1日ごとに区切られる。終わらなければ次の班に継続するため、短期でも全然構わない。
 西村さんが現地で見かけたのは50代くらいのおばちゃん4人組。半日側溝の砂の掻き出しに参加していた。普段ならお茶してる暇に側溝作業。カッコいい。

・行く前は被災地の映像や話が辛くて目を逸らしていた。
 見ても「可哀想」「早く何とかなると良いのに」としか思えなかった。
 今は瓦礫が残る映像や写真を見ると「分別しなきゃ!」と思う。
 嘆くだけではなく、そう感じるようになった自分が、少し誇らしい。

・片付いて行くのも嬉しいけど、もっと嬉しいことがある。
 どの依頼人も、作業の合間に「どこから来たの」と話しかけてくれる。慣れると、津波が来た時のことを話してくれたりする。
 気を使ってかもしれないけど、本当のところ、話したいのだと思う。
 人間は心の傷を癒す為に、繰り返し忘れたい場面を思い出す。話をするのもその一環で、早くも住民は過去のものとして踏み出しているのだと思う。
 道のりは長い。
 でも諦めない。

 作業最終日、100日に当たるこの時期に来てくれてありがとう、と泣きながらお礼を言われて、みんな少し泣いた。
 西村さんもちょっと泣いた。
 被災地を目の当たりにして怖気付くかな、とか泣くのかな、とかいく前は思っていたけれど、「酷い」と感じたけど、泣いたりしなかった。
 昨日まで隣近所で暮らしていた人が突然何人も亡くなり、今も見つからない、そんな状況は想像しても実感出来なかった。依頼人が涙ながらにその話をした時、ただ「辛い」と感じ、お礼を言われて涙が出た。
 片付けの進まない家がまだ多く、復興への道も長く、険しい。それでもわたし達の作業が無駄ではない、と感じたからかもしれない。
 我々は明日への希望に少しはなれたのだろうか。

 いつか、あの海沿いが綺麗になった時に絶対にまた行こう、そう決めた。
 塩屋埼灯台

Comments

Comment Form

日本語を含まないコメントは書き込めません。
だって読めないもん・・・ごめんね。

Remember Me?

Trackbacks

スパム対策のため、内容を確認してから掲載しています。
内容の関連性がないものは載せませんのであしからず。