映画「花蓮の夏」を解釈。
続けて映画の話で申し訳ない。
観損ねてた「花蓮の夏」という台湾映画をDVDで観ました。
久々にぐるぐるもやもやする話に出会ってしまった!!!!
何!何なのこの西村さんの好みの話!!!(笑)
今時(といっても製作されたの2006年だけど)純真でスタンダードなBLですよ!!!!!!
しかもありがちな役者がイマイチって事も無くて(小学生の時は可愛くないけど)どちらもアリ!!!
これなら有!!!!
ショウヘンがジェンシンのことばかり追いかけてて、何かにつけて「俺たち一番の親友だろ!」とスキスキアピール甚だしくて憎めない・・・
その後は、3人とも台北の大学に進むんだけど、ショウヘンとホイジャはこっそり付き合ってて(ショウヘンはホイジャをジェンシンの元カノだと思っている)それを知らないジェンシンは相変わらず一人自分の感情に悩んでるんだけど・・・
ねー、この女何なの?頭おかしいの??
ジェンシンに拒まれて泣いてたくせに、その直後にショウヘンにキスされて付き合わない?って言われたら「大学に受かったら付き合ってもいい」とか言っちゃうんだけど・・・普通、ちょっと良いなと思ってもジェンシンの気持ちを知ってる以上、そんな風に返さないし、付き合ったりしないと思わない~?
なんだか見ていてすごくもやもやした理由の一つは、このせいでした(おまけに顔が全く可愛くない)
(以下ネタバレ)
二人が付き合っているのを知ったジェンシンは、「先生に言われたから友達になっただけだ、本当は迷惑してた」とか言って絶縁しようとしちゃうの。
で、逃げ帰るジェンシンをバイクで追いかけるショウヘンが事故るんだけど、大したことはなくて、迎えに来たジェンシンの家で寝ちゃうんだけど・・・ショウヘン、寝てると思いきやタヌキ寝入りで、ジェンシンを押し倒してことに及んでしまいます・・・えっ!?マジで!!?
しかもそれっぽいカンジで濁すんじゃなく、ガッツリ絡み合ってるので結構びっくりしました(笑)
・・・最初は気持ちに気付いたから、同情でジェンシンを抱いたのだと思っていたのですが、それだと海のシーンで気持ちを打ち明けるのを躊躇する理由がわからなくなる。
ということは、ショウヘンに気持ちはバレてない。
じゃあ何で突然ショウヘンはジェンシンに手を出したのかと考えると、あれ・・・?
事故ったショウヘンを迎えに行った帰り、ジェンシンがバイクを運転し、後ろにショウヘンが乗る場面があります(いつもはショウヘンが運転してる)
そのシーンでジェンシンの肩にちょっと頬を寄せるんだよ・・・それ、「親友が自分を見捨てなかったのでホッとした」のだと最初は思ったんだけど、違った!?
極め付け、Wikiで「花蓮の夏」を調べると、「小説(ノベライズ版)ではショウヘンは、ジェンシンとの対話の中で間接的に自分のジェンシンに対する思いは恋人としての愛であるとはっきり認めた、という妄想を抱いている」と書かれてるんだよ・・・
ここでは映画版との相違と書かれているけど、実際は相違はないのかもしれない。
ホイジャは当て馬というより、もしかしてジェンシンに近付けないために付き合ったのか、とすら思えてくる。
考えれば考えるほどもやもやする~
【西村さんの結論】
ショウヘンのいう「一番の親友」というのは、孤独を経験した彼にとって裏切りや隠し事もない愛の最上級の形。その中に友情も恋人としての愛も含まれる。
普段あまりに腐った眼で見てるから、本当にこういう話を作られると、自分が深読みしすぎているのかそれともそういう意図で作ってるのか判断に迷うものですね・・・
それにしても、ショウヘンが普段はアホな攻で良いなあ。そういう子が実は相手の気持ちを気付いていながらわざとアホな振りをしていたり、実は何も考えてないようで相手を思っていたりすると西村さん萌える!!
まあ、機会があったら是非見てください。
他の人がどう解釈するか知りたい・・・
観損ねてた「花蓮の夏」という台湾映画をDVDで観ました。
小学生の時、学級委員のジェンシンは、クラスの問題児だったショウヘンと先生の言いつけで友人となる。
数年後、同じ高校に進むと、ショウヘンは昔とは違いバスケ部で活躍もするし、女子にも人気が出たが、ジェンシンが新聞部で親しくなったホイジャに張り合うなど相変わらず大人気がない。
ホイジャはジェンシンを台北へ遊びに誘い、一線を越えようとしたもののジェンシンは彼女を拒んでしまう。
ホイジャは彼がショウヘンのことが好きで苦しんでいること知る。
久々にぐるぐるもやもやする話に出会ってしまった!!!!
何!何なのこの西村さんの好みの話!!!(笑)
今時(といっても製作されたの2006年だけど)純真でスタンダードなBLですよ!!!!!!
しかもありがちな役者がイマイチって事も無くて(小学生の時は可愛くないけど)どちらもアリ!!!
これなら有!!!!
ショウヘンがジェンシンのことばかり追いかけてて、何かにつけて「俺たち一番の親友だろ!」とスキスキアピール甚だしくて憎めない・・・
その後は、3人とも台北の大学に進むんだけど、ショウヘンとホイジャはこっそり付き合ってて(ショウヘンはホイジャをジェンシンの元カノだと思っている)それを知らないジェンシンは相変わらず一人自分の感情に悩んでるんだけど・・・
ねー、この女何なの?頭おかしいの??
ジェンシンに拒まれて泣いてたくせに、その直後にショウヘンにキスされて付き合わない?って言われたら「大学に受かったら付き合ってもいい」とか言っちゃうんだけど・・・普通、ちょっと良いなと思ってもジェンシンの気持ちを知ってる以上、そんな風に返さないし、付き合ったりしないと思わない~?
なんだか見ていてすごくもやもやした理由の一つは、このせいでした(おまけに顔が全く可愛くない)
(以下ネタバレ)
二人が付き合っているのを知ったジェンシンは、「先生に言われたから友達になっただけだ、本当は迷惑してた」とか言って絶縁しようとしちゃうの。
で、逃げ帰るジェンシンをバイクで追いかけるショウヘンが事故るんだけど、大したことはなくて、迎えに来たジェンシンの家で寝ちゃうんだけど・・・ショウヘン、寝てると思いきやタヌキ寝入りで、ジェンシンを押し倒してことに及んでしまいます・・・えっ!?マジで!!?
しかもそれっぽいカンジで濁すんじゃなく、ガッツリ絡み合ってるので結構びっくりしました(笑)
翌朝、ホイジャを呼びつけて、自分は部屋から消えてしまうジェンシン。
そんなジェンシンにショウヘンは3人で旅行に行くことを提案し、海で話を始める。
「親友に隠し事はなし」だというショウヘンに、ジェンシンは自分の気持ちを打ち明けると、ショウヘンは自分にも実は隠し事があったという。
それは小学生の時、ジェンシンが先生に言われて友達になってくれたのを、知っていたということ。最初は意地悪してやろうかと思っていたけれど、寂しかったからそれも出来なかったこと。
そしてショウヘンは「俺たちは一番の親友だ」と繰り返した。
・・・最初は気持ちに気付いたから、同情でジェンシンを抱いたのだと思っていたのですが、それだと海のシーンで気持ちを打ち明けるのを躊躇する理由がわからなくなる。
ということは、ショウヘンに気持ちはバレてない。
じゃあ何で突然ショウヘンはジェンシンに手を出したのかと考えると、あれ・・・?
事故ったショウヘンを迎えに行った帰り、ジェンシンがバイクを運転し、後ろにショウヘンが乗る場面があります(いつもはショウヘンが運転してる)
そのシーンでジェンシンの肩にちょっと頬を寄せるんだよ・・・それ、「親友が自分を見捨てなかったのでホッとした」のだと最初は思ったんだけど、違った!?
極め付け、Wikiで「花蓮の夏」を調べると、「小説(ノベライズ版)ではショウヘンは、ジェンシンとの対話の中で間接的に自分のジェンシンに対する思いは恋人としての愛であるとはっきり認めた、という妄想を抱いている」と書かれてるんだよ・・・
ここでは映画版との相違と書かれているけど、実際は相違はないのかもしれない。
ホイジャは当て馬というより、もしかしてジェンシンに近付けないために付き合ったのか、とすら思えてくる。
考えれば考えるほどもやもやする~
【西村さんの結論】
ショウヘンのいう「一番の親友」というのは、孤独を経験した彼にとって裏切りや隠し事もない愛の最上級の形。その中に友情も恋人としての愛も含まれる。
普段あまりに腐った眼で見てるから、本当にこういう話を作られると、自分が深読みしすぎているのかそれともそういう意図で作ってるのか判断に迷うものですね・・・
それにしても、ショウヘンが普段はアホな攻で良いなあ。そういう子が実は相手の気持ちを気付いていながらわざとアホな振りをしていたり、実は何も考えてないようで相手を思っていたりすると西村さん萌える!!
まあ、機会があったら是非見てください。
他の人がどう解釈するか知りたい・・・
Comments
お返事遅くなりました(汗)
フランス映画っぽいというのには納得です。流れる空気は違うけど、気持ちとは裏腹に素直になれなかったり、相手を傷つけてしまってうじうじするところは似てますね。アメリカの大作映画では描けない世界だと思います。
久しぶりに「この先はどうなるんだろう?」と思える素敵な映画でした。