KREVAを好きな理由。
比較的インドアで物静かな趣味が好きなはずの西村さんが、どうしてKREVAさんを好きになったのかをずっと考えていたのですが、それらしい答えが見つかったので好きになった経緯と共に書いておくことにします(無駄に長いよ)
元々はKICK THE CAN CREWが売れ出した頃に何気なくCDを買ったのが始まり。「マルシェ」は当時ラジオで凄い頻繁に流れていたけれど、それよりもスノーボードイベント「X-TRAIL JAM」のCMに「アンバランス」が使われたせいで、KICK THE CAN CREW(以下KTCC)に興味を覚えました。
丁度スノーボードを始めようと思っていた頃だったから、尚更興味を引かれたんだと思う。
その時はHIP HOPであるとかそう言うことは全く気にしていなかった(というか、よく解ってなかった)
買ったアルバムは「magic number」
「マルシェ」を初めとした無駄な位ノリのいい曲もあれば、「アンバランス」のようにちょっと切なくなるような曲が複数収録されていた。そんな曲も決してスローテンポではないところが大変肌に合いました。
昔から、何故かバラードよりテンポの速い曲が好きな西村さん。今もそれは変わってないです(そしてこのアルバムは今も繰り返し聴いてるくらいの名盤)
気が付けば何度もリピートしていて、KTCCを好きになっていた。
でもこの時は「好き」くらいで、「ファン」とは言えなかったな。
その後KTCCを休止し、メンバーはそれぞれソロ活動が始まりました。
実はこの時点でもメンバーの名前も、何人いるかさえも知りませんでした(笑)
個人ではなく、グループとして、単純に音楽として、好きだったのです。
KREVAさんを認識するようになったのは、「新人クレバ」が出た頃。
その前に「ひとりじゃないのよ」がタイアップでTVで流れていて、気になってアルバムを買ったのです。
何というか、KTCCの時と同じ流れなのが運命的。しかもどっちも気になった直後にアルバムが発売されてるんだよね・・・
「新人クレバ」を聴いて、自分の中の音楽と言う概念が壊れたと言っても過言ではないです。
それまで音楽というのは、どんな形であれ最終的に<美しくないといけない>そう思っていた。
良い曲も入っていたけれど、巫山戯すぎた音、酷く下品な歌詞、ざっくばらんすぎる歌い方の曲があり、それにとまどい、こういう曲をCDとして形で残してしまう事が残念な気がしたのです。
だけど、何度も聞いているうちにその感想は違うな、と思うようになった。
情熱的な綺麗な曲も作れる、楽しくなるような明るい曲も作れる、そしてアングラな、人から好まれないような曲も作れる。それをインディーズではなくメジャーで出せる。
それはKREVAの精一杯の虚勢。
前に何かのコメントでKTCCの活動中、周りがみんな敵みたいに思えていた、そう話してたことがある。誰も信用できないから独りで曲を作り、独りで歌い、独りでプロデュースし、独りでアルバムを完成させる。自分は何でも出来る、そう言いたくて多様な曲を1枚に収めたんだと思う。
弱い部分を隠そうとするその姿を感じたから、決して素敵じゃない曲があって良いと思えるようになった。
理解したくて繰り返し聴くうちに、違和感を塗りつぶす程のスキルに傾倒していった訳です。でも、他にも高いスキルを持った人はいるし、何故KREVAなのか。
西村さんが他に傾倒している物と言えば、やはり有栖川有栖。
勿論、全く繋がりのない両者です。
互いに共通すると言えば、単純に自分の仕事・・・というより、仕事にしたそれをこよなく愛していること。愛情と言うよりも殆ど恋い焦がれるかのような、情熱を持っていること。
他にもそんな人はたくさんいると思う。
でも、何を置いてもそれが一番、そう言う人って実は少ないんじゃないか。
小説家がTVバラエティーに頻繁に出たり、ミュージシャンが映画撮ったり、俳優が音楽をやってみたり。片手間で出来るような仕事ではどれもないはずだし、そうなると本職に掛ける時間も少なくなってしまう。
愛していたら掛ける時間が減るのは辛いはず。
ちょっと前に、昔ファンだった中西圭三の公式サイトを覗いたら、活動の情報以外に、自分で撮った写真がメインみたいになってた。
最後にコンサートに行った時、会場の外に写真パネルが展示されていたりして、その頃から写真好きなのは判っていたけど、何だかそれで中西圭三から気持ちが離れたのかな、と今は思う。
勿論、大事な物や好きなことは複数あっても良いとは思ってる。
でも、ずっと高いモチベーションと愛情を持ち続けるのはただ一つであって欲しい。
考えてみたら、そういう大事な物への情熱を失ってしまった自分だからこそ、変わらずに愛を持ち続けるKREVAさんや有栖川先生を敬愛するのではないか。
彼を通じて自分が今も情熱を持ち続けている、そう錯覚させて貰えるから、だからKREVAが好きなのではないでしょうか。
元々はKICK THE CAN CREWが売れ出した頃に何気なくCDを買ったのが始まり。「マルシェ」は当時ラジオで凄い頻繁に流れていたけれど、それよりもスノーボードイベント「X-TRAIL JAM」のCMに「アンバランス」が使われたせいで、KICK THE CAN CREW(以下KTCC)に興味を覚えました。
丁度スノーボードを始めようと思っていた頃だったから、尚更興味を引かれたんだと思う。
その時はHIP HOPであるとかそう言うことは全く気にしていなかった(というか、よく解ってなかった)
買ったアルバムは「magic number」
「マルシェ」を初めとした無駄な位ノリのいい曲もあれば、「アンバランス」のようにちょっと切なくなるような曲が複数収録されていた。そんな曲も決してスローテンポではないところが大変肌に合いました。
昔から、何故かバラードよりテンポの速い曲が好きな西村さん。今もそれは変わってないです(そしてこのアルバムは今も繰り返し聴いてるくらいの名盤)
気が付けば何度もリピートしていて、KTCCを好きになっていた。
でもこの時は「好き」くらいで、「ファン」とは言えなかったな。
その後KTCCを休止し、メンバーはそれぞれソロ活動が始まりました。
実はこの時点でもメンバーの名前も、何人いるかさえも知りませんでした(笑)
個人ではなく、グループとして、単純に音楽として、好きだったのです。
KREVAさんを認識するようになったのは、「新人クレバ」が出た頃。
その前に「ひとりじゃないのよ」がタイアップでTVで流れていて、気になってアルバムを買ったのです。
何というか、KTCCの時と同じ流れなのが運命的。しかもどっちも気になった直後にアルバムが発売されてるんだよね・・・
「新人クレバ」を聴いて、自分の中の音楽と言う概念が壊れたと言っても過言ではないです。
それまで音楽というのは、どんな形であれ最終的に<美しくないといけない>そう思っていた。
良い曲も入っていたけれど、巫山戯すぎた音、酷く下品な歌詞、ざっくばらんすぎる歌い方の曲があり、それにとまどい、こういう曲をCDとして形で残してしまう事が残念な気がしたのです。
だけど、何度も聞いているうちにその感想は違うな、と思うようになった。
情熱的な綺麗な曲も作れる、楽しくなるような明るい曲も作れる、そしてアングラな、人から好まれないような曲も作れる。それをインディーズではなくメジャーで出せる。
それはKREVAの精一杯の虚勢。
前に何かのコメントでKTCCの活動中、周りがみんな敵みたいに思えていた、そう話してたことがある。誰も信用できないから独りで曲を作り、独りで歌い、独りでプロデュースし、独りでアルバムを完成させる。自分は何でも出来る、そう言いたくて多様な曲を1枚に収めたんだと思う。
弱い部分を隠そうとするその姿を感じたから、決して素敵じゃない曲があって良いと思えるようになった。
理解したくて繰り返し聴くうちに、違和感を塗りつぶす程のスキルに傾倒していった訳です。でも、他にも高いスキルを持った人はいるし、何故KREVAなのか。
西村さんが他に傾倒している物と言えば、やはり有栖川有栖。
勿論、全く繋がりのない両者です。
互いに共通すると言えば、単純に自分の仕事・・・というより、仕事にしたそれをこよなく愛していること。愛情と言うよりも殆ど恋い焦がれるかのような、情熱を持っていること。
他にもそんな人はたくさんいると思う。
でも、何を置いてもそれが一番、そう言う人って実は少ないんじゃないか。
小説家がTVバラエティーに頻繁に出たり、ミュージシャンが映画撮ったり、俳優が音楽をやってみたり。片手間で出来るような仕事ではどれもないはずだし、そうなると本職に掛ける時間も少なくなってしまう。
愛していたら掛ける時間が減るのは辛いはず。
ちょっと前に、昔ファンだった中西圭三の公式サイトを覗いたら、活動の情報以外に、自分で撮った写真がメインみたいになってた。
最後にコンサートに行った時、会場の外に写真パネルが展示されていたりして、その頃から写真好きなのは判っていたけど、何だかそれで中西圭三から気持ちが離れたのかな、と今は思う。
勿論、大事な物や好きなことは複数あっても良いとは思ってる。
でも、ずっと高いモチベーションと愛情を持ち続けるのはただ一つであって欲しい。
考えてみたら、そういう大事な物への情熱を失ってしまった自分だからこそ、変わらずに愛を持ち続けるKREVAさんや有栖川先生を敬愛するのではないか。
彼を通じて自分が今も情熱を持ち続けている、そう錯覚させて貰えるから、だからKREVAが好きなのではないでしょうか。
Comments