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映画「プリティ・ウーマン」と「マイ・フェア・レディ」の違い。

 この間、地上波で映画「プリティ・ウーマン」をやっていたので観た。
 実はあまりこの映画が好きではない。
 昔ちょっと見ただけだったけど、世間の人が言う程面白くも素敵でもないと思っていたので、本当にそうなのか確認する為の視聴(笑)

 で、やっぱり感想は同じでした。
 主人公のコールガール、ビビアンが偶然知り合った男に一週間雇われ、その間に素敵なレディに変身する、というストーリー。
 つまらなくはないけど、特に何度も観たいとは思わないし、自分ならこういう脚本にするのに、と考えてしまう。
 何故、この話が面白くないのかというと、
  • 金で雇う必然性がイマイチ明確でない(寂しいから?)
  • 最初は何故か手を出す気配がなかったのに、結局途中で肉体関係がある(だったらずっとストイックなままの方が良い)
  • 娼婦の設定が生かされていない(基本給だけ決めて、後は指一本動かすにもオプション、とか何かにつけて請求したら可愛いし面白いのに)
  • レディになる要素が最初からあり、深層まで変化が見られない(ビビアンは最初から一貫して自立している)
  • 物語中、二人の間に大きな転機がない(大問題だ)
  • 囲うだけの関係が、いつ正式なパートナーにしようと思ったのか明確でない(物語はビビアンを追ってくる所で終わるけれど、実は囲うために追って来たのかも)

  •  端的に言うと、蔑まれていた女がプリンセスに生まれ変わるという、そこだけが先行してしまい、中身の変化がほったらかし。
     確かに表面だけ観たら夢のある話かもしれないが、西村さんはそういう話を面白いとは思えないので。
     夢物語なら、もっと徹底的にロマンチックなのが良いね。

     満足出来なかったから、元ともなった「マイ・フェア・レディ」を観た(これはDVD持ってる)
     いやー、久しぶりに観ると新たな発見があるね。
     今回一番の驚きは、この映画が2時間50分!もあったこと。これだけ長いのに退屈しないんだから凄い。
     やっぱりオードリーが良い(歌は吹き替えだけど・・・)最初はものすごい発音と喋り方だったのが、最後には何とも言えない気品を備えるのが、演技とは言え素晴らしい(西村さんはオードリー・ヘプバーンファンである)
     何度観ても大好きだし、文句のない名作だと思ってます。

     この映画において重要なのは、最終的にイライザが、あなたがいなくても自分の力で生きていける、と発言するところだと思う。
     反発しながらも与えられた物をそのまま吸収し、なすがままにヒギンズの教えを受け入れていたイライザ。だからこそヒギンズはイライザを対等な人間ではなく、乱暴に目下の扱いしかしなかったし、レディとして接していなかった。
     本物の貴婦人ってのは、喋り方や立ち居振る舞いもさることながら、自分自身で道を切り開くことが出来る強さが備わっている物だと思う(ここで言う強さは養われることを否とするのではなく、養われつつもいつでも独りになれる、そういう強さである)

     「プリティ・ウーマン」ビビアンが燻ってるのはお金がないだけで、この気概は最初から備わってるんだよねぇ・・・だからこそ最初と終わりで変化が無くて物足りない・・・
     素敵な女性を描くというのは、難しいもんだ。

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    だって読めないもん・・・ごめんね。

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