「安楽椅子探偵ON STAGE」の回答・・・

 日本を代表するミステリ作家である有栖川有栖先生綾辻行人先生が原作を務める、日本で最も難しいミステリドラマ、「安楽椅子探偵」の最新作、「安楽椅子探偵ON STAGE」が先週放送されました。
 今回は関西でのテレビ放送に加え、リアルタイムでのネット配信、それから見逃し配信がされました。
 西村さんは勿論、翌日仕事にもかかわらず、ネットでリアルタイム視聴したよ。

 で、回答が締め切られ、明日「解答編」が放送されるので、恒例、西村さんのグダグダ推理お披露目です(笑)

犯人は14時30以降にペンキを椅子に掛け、前回公演の椅子に針を細工。
毒を購入したことをネタに脅迫し、15時に安夫を事務所に呼び出したが、電話を聞いてやってきた楽太を安夫と間違って殺してしまう。その時ネックレスが壊れてしまったため、ハンディ型の掃除機が届いていることを知らない犯人は、通常の掃除機でパーツを集め修復したが、植木鉢に一つ残ってしまった。
安夫については当初から口封じのために毒を受け取る時に殺してしまうつもりでいたが、計画が狂ったため、楽太を殺すために用意した椅子で安夫を殺害することにし、代役を務めるように仕向ける。
舞台上で殺害したのは、好意を寄せる緑橋と衝突する楽太を上演中に殺害することで、「安楽椅子探偵」を今後上演できないようにするため。
毒は万一椅子が採用されなかったり、他の人が座ったり、触れてしまうと計画が崩れるため、台に固定されてから塗られた。
小型の掃除機の存在を知らず、16時半に事務所に笛美が行くことを知っており、また椅子が固定されてから安楽椅子探偵が着座するまでの時間に舞台裏で一人になる機会があり、毒と塗るための道具を隠し持てるウエストポーチをしているのは江坂のみ。

 というわけで、西村さんの犯人は「江坂紗夜」です。

 そろそろまともに犯人当ててみたい・・・ 続きを読む>>

「犯罪臨床学者 火村英生の推理」視聴御礼

 終わってしまいましたね、「犯罪臨床学者 火村英生の推理」
 おかげさまで視聴率は・・・そんなに良いとは言えなかったけれど、好評ではあったようです(西村さんが怖くて悪口が言えないだけかも知れない)

 アリスが可愛いことがわりと話題になっていましたが、当たり前だ!アリスだもん!!
 西村さんの書くアリスとは違うけど(むしろドラマのアリスは西村さんの中では学生アリスに近い)アリスの可愛さだけは不変でした。
 窪田正孝君がとても良い演技をしてくれたと思っています。
 火村は・・・変な人でしたね。あんまりアリスのことを好きすぎて気持ち悪い(笑)

 動画配信サービスの「hulu」でanother storyとしてさらに3作(厳密には「切り裂きジャックを待ちながら」が前後編に別れるので2作)も配信されたりして、続編も視野に入れてるのかなあ(たぶんテレビ局はシリーズ化させたいんだろう)という感じ。
 とにかく、無事終わって良かったな、と思っています。
 観て下さったみなさん、ありがとうございました(何故お前が言う)
 引き続き、「hulu」で繰り返し繰り返し観て、さらにBlu-rayかDVDも買って頂けるようお願いします。

 「hulu」良いよ、便利だよ。DVDとかと違って、入れ替える手間がなくて、1話終わると次の話を勝手に再生してくれるから、垂れ流ししっぱなしで作業出来るよ(おい)
 でも本当に、ずーっとそこに変な火村と可愛いアリスが居てくれるので幸せです(もう何周目か判らない)
 続編を作ってくれるなら、「スウェーデン館の謎」が良いなあ。ヴェロニカさんはシャーロット・ケイト・フォックスがいいな・・・夢はまだまだ、これからも延々広がります(笑)

「臨床犯罪学者 火村英生」1話目の感想。

 第1回、観ていただけましたでしょうか?
 ツイッターの西村さんのタイムライン上では概ね好評だったようで、嬉しい限り。
 西村さんもあの小説をこんな風に処理してくるのか、と楽しめました。

 それをふまえた上で、良いところともうちょっとのところ。

 良かった点
 ・小説をそのまま脚本にするのではなく、必要なエピソードを最低限に絞り上手く再構築していた。
 ・メインとなるストーリー(第1話だと「絶叫城殺人事件」)以外に他短編(第1話では「201号室の災厄」)をプロローグとして使用し、火村の探偵としての能力の高さと興味を引く構成が出来ていた。

 もう少し頑張って欲しい点
 ・火村とアリスの本来の性格及びそれぞれの役割がきちんと別けられていない(雑学はアリスの方が詳しいので、作中でやり取りされる俳優名は火村ではなくアリスが答えるべき。また、二人で犯人を断罪しているが、寄ってたかって追い詰めるような形は小説では決して取られず、火村をアリスが見守り、アリスを火村が見守るといった互いにフォローし合い、時に抑止力となる形が正しいと思う)
 ・小説中、最も重要ともいえるセリフが使用されなかった(アリスの「もし俺が女だったら男というだけで信用しない」というセリフは女性なら確実に共感するし、真理であると言える。女性視聴者を意識していることは配役からも感じられるので、削るべきではなかったと思う)
 
 良かった点からも解るように、原作となる小説をきちんと読んで話の構成を考えてくれているのは感じるが、まだ読み込み方が足りていないようにも思う。
 火村がなぜ今もずっと同じ下宿にいるか、それは婆ちゃんこと篠宮時絵さんの存在の大きさに他ならないのに、それがドラマからは感じ辛い。はんなりとした穏やかさと上品さが、ともすれば通常の生活から外れてしまいそうな火村を日常生活に結び付けていることは愛読者なら説明されるまでもなく理解している。
 しかし、ドラマの時絵さんは洋装はともかくとして、歩きながら団子を食べるなどという、ありえない行動を取ってしまった。
 これはいただけない。
 脇役の改変は多少なら仕方がないとは思っている。警察人はほぼオリジナルになるが、火村に友好的な刑事とそうではない刑事というわかりやすい二人を配置する意味が理解できる。
 けれど、品のない時絵さんでは何故火村が慕うのかわからない。必要以上に心に踏み込まない、距離を置きつつも見守ってくれるそんな京女だから慕って下宿を続けることに意味があるのだ。
 また、猫についても、2匹いるのにもう1匹拾ってきてしまうというところに火村の優しさがあるはずなのに、1匹しか出てこないのではそれも分かりづらい。エピソードとしても面白いものなので、是非ドラマ内でやって欲しかった。

 このように内面の読み込みの甘さがあるため、火村の性格も犯罪大好きみたいな変なキャラクターになってしまったのだろう(あれではただの変な人だ)
 おかげでちぐはぐな印象は拭えないが、ヒットすればシリーズ化されたり映画化などもあるだろうから、段々修正して行ってくれることを祈っている。
 二話目は今夜、「異形の客」だそうです。このチョイスには驚いたので、楽しみ!

「マリー・アントワネットに別れを告げて」も、どこへも行けない朗読係の映画。

 この間、WOWOWで、「マリー・アントワネットに別れを告げて」という映画を観ました(正しくは録画しておいたのを観た)
 西村さん的には結構良かったのですが、ネットの感想を見たら世間では評価が低いみたい。
 王妃マリー・アントワネットに心酔している朗読係の女性。
 フランス革命が起き、ヴェルサイユ宮殿から逃げるポリニャック伯爵夫人の身代わりになるよう命令される。

 こう書くと「ベルサイユのばら」的な煌びやかな話を想像するみたいだけど、出て来るのは宮殿の隅っこの地味な従者の居住区ばかり。なので、期待外れという気持ちになるのは少々仕方ない。
 マリー・アントワネットはポリニャック伯爵夫人を愛していて、それ故に首を切られそうになる彼女を逃がそうとするのだけれど、この部分は後半、殆どラストに近い頃になってようやく描かれる。ストーリーの中核となる部分(そして話のクライマックス)が最初から明かされているから、やっぱり期待外れ、という風に思えるのかもしれない。

 でも、華やかさとはかけ離れたヴェルサイユでの生活と迫ってくる革命の足音。それに右往左往する貴族たち。
 その中でただひたすらマリー・アントワネットを想い陛下のためならば、と仕事を厭わない主人公。
 しかし想いは報われるはずもなく、言い渡される身代わり。

 身代わりになるよう告げられた後、小間使い達に服を脱がされ全裸にされるシーンがあります。
 これ、必要ないんじゃ?的なコメントがあったけど、自分はそうは思わなかった。
 脱がされる時は抵抗し、脱がされた後は手で体を隠そうとする。
 もし、アントワネットのために服を脱ぐように言われれたら抵抗はしなかっただろうし、ポリニャック夫人の身代わりではなくアントワネット自身の身代わりと言われたら、死ぬことさえ喜んだだろう。
 
 失意のまま旅立とうとしてる主人公を追って来たマリー・アントワネットは、「あなたのことは忘れない」とポリニャック夫人に伝えて欲しいと言い、口づけをする。
 この口づけもいらないのでは?と思われているけれど、やっぱり必要だったと西村さんは思う。
 他の人の代わりであったとしても、本来ならば永遠に届かない、愛しい人からの口づけ。ただそれだけでもう、死さえ怖くない。人生を素晴らしいものだったと、諦められるくらいの幸福。
 それがあったから、ずっとおどおどしていた主人公が、口づけの後は何者も恐れない、堂々とした、そしてサバサバした振る舞い出来たのだと思う。
 ラストシーンは他国へ逃げ延び、「私は何者でもなくなる」というモノローグで終わる。

 物語の途中、出自を仲間から尋ねられるシーンがあるけど、どうやら孤児という設定。
 そんな女性が王妃の朗読係になれるのか、という突っ込みは・・・なれるんじゃないの?
 主人公たちは直接雇用ではなく、貴族の主人が居て、その主人が王族に仕えている模様。主人が気に入られており、さらにその主人からの推薦があれば平気なんじゃないかなー
 それはさておき、その孤児であり、王妃の読書係であり、ポリニャック夫人の身代わりであった彼女の誇りでありアイデンティティは、やはり<王妃の読書係>だったと思う。それが、命の危険から逃れられたことによって失われてしまい、<何者でもない自分>になってしまう。
 この無常さが物悲しく、切ない。 続きを読む>>

ドラマ版「レディ・ジョーカー」が気に入らなかったでござる。

 3月からwowowで放送していたドラマ「レディ・ジョーカー」が先週最終回を迎えました。
 楽しみにしてたんですが、色々と納得いかないことが多かったので書くよ!(「レディー・ジョーカー」関連でアクセス増えてるので変な文章だよ!笑)

 大手ビール会社、日之出ビールの城山社長が誘拐された。犯人は人質はビールであり、後日連絡すると言い社長を開放する。しかしそれは表向きで、実際はさらなる金額を裏取引で要求してきた。
 人質、それは解放間際に託された二枚の写真、姪の佳子と彼女が付き合っていた、亡くなった秦野青年のものだった。
 これがあらすじの一番最初です。
 もうここからして、高村薫の原作を読んでいないと何だか良く判らないわけです。
 実は秦野青年の母親はレディ・ジョーカーのうちの一人、物井清三さんの娘です。そして父親の歯科医、秦野さんは神戸の被差別部落出身です(正しくは地域に住んでいたことがあるだけのよう)
 物井さんの養子に行ったお兄さん岡村清二さんは元日之出ビールの社員でしたが、リストラ時に退職しています(体調により自らの意志で退職したことになってはいる)手紙では、それ以前に、組合活動を積極的に行っていてクビになった社員と少しだけ親しくしていたのは関係ないと言いながらも、その旨に言及しています。
 そして、秦野青年は日之出ビールの入社試験を受けたものの、二次面接で突如退席し、そして事故で亡くなっています。これは当時付き合っていた佳子が父親から秦野さんの出生について聞いたことを本人に話す、と言うことをしたためと考えられています。
 日之出ビールが意思はなくとも結果的に就職差別を行った、という内容を世間には知られるわけにはいかなかった。それ故、城山社長は裏取引に応じるしかなかった。
 その辺が凄くドラマでは曖昧です。

 原作では冒頭に故岡村清二さんが日之出ビールに宛てた手紙が登場します。
 ドラマでは城山社長が留置所で読んだり、ラストに合田がお墓で読んでいるのもこの手紙です。
 物語の発端ともなった手紙なのでそういう演出にしたのは理解できますが、そもそも手紙についてよく描かれていないドラマでは見ていて「?」だったのではないでしょうか。
 貧しい東北の寒村から就職し、戦争に出兵、戻って来た時に迎えてくれた日之出ビールという会社に対する気持ちや、その会社に切り捨てられた活動員だった社員。
 それら日之出ビールに対する憧れと裏切られたという気持ちが、城山社長の会社への気持ち、合田の警察に対する憧れと失望感がリンクして話が盛り上がってる(はず)

 それから、レディと呼ばれている障害を持った娘、布川幸。彼女の演技もすごく疑問です。
 ドラマの幸はごく普通の健常者にしか見えない。これでは布川の<障害を持つ子供の親>という追い詰められた立場が判りにくい。
 障害と被差別部落、それから銀行員の高の在日朝鮮人という、本人の意志とは関係なく、逃げられない状況が存在するというのが重要なのです。
 その点、映画版の「レディ・ジョーカー」で幸を演じた子は凄かったな。ホントに障害のある子を連れて来たのかと思ったくらいの演技だった(斉藤千晃というらしい)
 
 で、岡村清二さんの手紙を秦野(父)が入手する経緯に総会屋が絡んで来るので、表面でレディ・ジョーカーと警察の攻防でありながら、水面下で総会屋を追うジャーナリスト、という形が出て来ます。
 この辺、少しずつ入り組んでいて、ドラマでも原作でも何故城山社長が立件されたか判りづらいですが、高村薫の世界はいつも表面に現れる事件と裏側で動く事件が絡み合ってるので、その辺は仕方ないかな。 続きを読む>>

「ゼロ・ダーク・サーティ」はホントにこれで候補?

 「セロ・ダーク・サーティ」観て来ました。
 今年のアカデミー賞候補作は(珍しく)たくさん観てるな。
 で、まあ感想ですが、「やー、コレに比べたら、『アルゴ』がアカデミー賞獲るのは当然だよなあ」です。
 米国同時多発テロ事件を起こした組織アルカイダを追うチームに、 一見CIAの分析官には見えない女性、マヤが移動してくる。
 拷問で情報を引き出す事も行うが、なかなか思うような成果は得られず、チームメンバーがテロに遭い、また自身も狙われるなど次第に八方塞がりの状況となっていく。
 しかし、重要人物を追ううちに、外からでは窺えない家の中にもう一人男がいることを突き止める。
 前半はアルカイダの重要人物を捜すストーリー。後半はビン・ラディンが居ると判断し、米軍が突入するストーリー。
 他国であるパキスタンに事前の通告もなく突入し、殺害に至ったのもやむなしと思えるだけの説得力が映画の前半には無いといけないと思うだけれど、それが全然感じられない。
 主役のマヤも大して活躍しないし、同僚が殺されたからと言って「あいつを殺して」みたいな事を言い出すのもおかしい。最初から「国を守る!」とか言ってるキャラクターならともかく、何のためにCIAに居るのかも語らないし、その心情の変化や葛藤が殆どない。
 単に映画を宣伝するために「女性がビン・ラディンを追いつめた」と煽ったのなら、止めるべきだったと思う。
 CIAがどうビン・ラディンの潜伏先を見つけ、殺害するに至ったかを描きたかったのであれば、映画という手口を使う必要はなかった。
 映画としての娯楽性も記録という信憑性も薄く、また何より「映画を通して伝えたい物」が感じられない。何を取っても程々で、どこにも傑出した部分がない、凡作になってしまったのはそれ故だと思った。

 ホントに何回も引き合いに出して済まないが、「アルゴ」も他国へ乗り込んでいく話ではあるけれど、あくまでも<こんな馬鹿げた作戦を本気でやったんだよ>という部分を伝える為に作られている。
 記録として本気で再現した部分も評価されたのだろうけど、そのくだらない作戦に命を掛けて、ちょっとしたスリリングを持った娯楽映画に仕上げたところが良かったのだ。
 やっぱり、アカデミー賞を獲るには「映画を通して伝える」気持ちが必要なんだと、歴代の受賞作品を見ても思ったのでした。 続きを読む>>

今年最初の映画は「レ・ミゼラブル」

 なんだかんだ言ってやっぱりまた映画の話(笑)

 正月休み中に映画「レ・ミゼラブル」を観ました。
 たまたま暇だったからなんだけど、評判良いみたいだし、混んでました。
 で、実際良かったです。

 妹の子供たちのためにパンを1つ盗み、獄中の身となったジャン・バルジャン。度重なる脱獄未遂のため、19年の長きに渡り服役し、ようやく解放される。
 しかし、前科のある彼を人々は蔑み、避ける。
 空腹で荒んだ気持ちのまま辿り着いた教会で、ようやく食事と寝床を提供されたが、その晩、教会にあった銀製品を盗み逃亡を図る。
 憲兵に捕まり、教会へと戻ったバルジャンに、司教は「差し上げたのに、急いでいたようだ」と銀の燭台も差し出す。
 司教の慈悲の心にようやく人の心を取り戻し、名前を変えてやり直すことを決意する。

 この、燭台を忘れている、と差し出すのが一番有名なシーンだと思いますが、始まって早い段階にもかかわらず涙出た。
 その後、工場経営者となり、市長にまでなったバルジャンが警察に追われながらも孤児となったコゼットを引き取り育てるんだけど・・・コゼット、何なの?
 小さい頃は虐げられた生活をしていて可愛そうだし、助けて貰って良かったね!って思えるんだけど、成長してからが理解出来ない。

 六月蜂起を背景にしているのだから、街はピリピリしてるはずなのに、ソレについて何も感じていないようで、ましてや好きになったマリユスがそれに参加しているかどうかも全然心配してない。
 それと対比するように、幼いコゼットを預かって虐げていた宿屋の一人娘のエポニーヌは、大人になってからは貧しい生活をしていて、六月蜂起にも参加している。マリユスの事が好きだから一緒にいたくて参加しているのだろうけれど、コゼットに一目惚れしたマリユスのために手を貸したりして、実はすごく健気。
 裕福になって何もしなくなったコゼットと、裕福から落ちぶれたけれど努力しているエポニーヌだったら、絶対エポニーヌを応援するわ!

 本当に映画は良くて、色んなところで涙出てしまった。周りもかなり泣いてるようだったよ。
 それ故にコゼットの馬鹿さが、より釈然としない・・・
 ミュージカル版の映画化なので、原作だともっとしっかりした娘なのだろうか。

 アカデミー賞にもノミネートされてるけど、そんな訳で個人的には「アルゴ」の方が上だなー(どうやらスピルバーグの「リンカーン」が本命らしいけどね) 

映画「フランケンウィニー」大好き。

 ティム・バートンの新作映画「フランケンウィニー」初日に観て来ました。

 将来映画監督になりたい小学生ヴィクターとその飼い犬のスパーキーは大の仲良し。学校に行く時以外は二人はいつも一緒だったが、スパーキーはボールを追いかけて交通事故に合って死んでしまう。
 一番の親友を失ったヴィクターは悲しみに暮れ、勉強も手に付かなかったが、電気を使えばスパーキーを行き返らせることが出来ると思い立ち、実行に移す。
 そして雷を利用し、みごとにスパーキーを生き返らせたのだが・・・

 前売券を買うくらい楽しみにしていましたが、やっぱりすごく良かった!
 元々、実写で短編として作られたものを、監督自ら長編ストップモーションアニメとして作り直したのがこの作品です(「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」と同時公開。DVDにも収録されてる)
 基本のストーリーは短編通りですが、エピソードが細かく描かれたり、増えたりしています。登場人物も短編では両親、隣の親子と近所の人くらいだったのが、学校のクラスメイトや先生など世界が広がっているけれど、そこはやはりティム・バートンだけあって癖が凄い。
 でもその癖も観ているうちにだんだんかわいく見えて来ちゃうんだよね~
 特にスパーキーはすごくかわいい。
 ツギハギだらけで、水を飲むと隙間から漏れちゃったりするのが何ともブラックだと思うけど、そこがまた可愛いと思う。動きは本物の犬そのものでモノクロ映画であることも、人形であることもすぐに忘れてしまう。撮影に際し、実際にブルテリアをスタジオに入れて参考にしたらしいので、そのこだわりが犬好きのティムらしいね。
 (だから、スパーキーが死んでしまうシーンは、生き返ると判っていてもすごく悲しい)

 これだけ動きの滑らかなストップモーションを作るというのはもの凄い大変なことで、でもこれをただアニメにしてしまわないところが素晴らしいと思う。
 映画への情熱がハッキリしているからこそ、ティム・バートンが好きだし、どの映画にあっても自分のオリジナリティや笑いを忘れないところも好き。
 ティムの映画は外側から見たらグロテスクだったりする話ばかりだけれど、根底にあるのは子どもの時の怖い物に対する興味や憧れ、愛おしい物への愛情。
 だからこそ何年経って観直しても、どの映画もわかりやすく、また面白いのだと思う。

2Dで観たい映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」

 まだ映画のネタが続くよ(笑)

 ようやくと言うかいまさらと言うか、初めて3D映画を観ました。
 「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」です。
 特にシルク・ドゥ・ソレイユに興味がある訳でもなかったのですが、この超絶パフォーマンスを3D映画にするのだから、さぞ臨場感あって凄いのだろうと思って気になったのです。
 で、観た感想ですが・・・超絶失敗。

 ふらりと入った町外れのサーカスで、空中ブランコ乗りの青年に目をうばれたミア。
 突然、渦巻く砂と化した地面に吸い込まれて消えた彼を追って、不思議な世界へ探しに出る。

 ちゃんとあらすじがあって、映画仕立てになってるのですが、それは最初だけ。
 異世界(とされる)サーカスの世界に入ると、ストーリーはあって無きが如し。
 途中、何でか悪いやつっぽいのが追ってくるんだけど、何で追われてるのかも不明。
 で、ラストで二人は再開するけど、最初の世界に戻るとかは無く、そのままシルク・ドゥ・ソレイユの舞台のカーテンコールで終わるので、ストーリーどこ行った!?ってなる・・・
 そこで初めて、フィクション映画ではなく、ただの舞台の記録映画なのだと気付く。

 まあ、話の筋は良いことにしよう。
 シルクのパフォーマンスを観るための映画だということで、許そう。
 しかし、この3Dはないだろう!って思う。 続きを読む>>

映画「花蓮の夏」を解釈。

 続けて映画の話で申し訳ない。
 観損ねてた「花蓮の夏」という台湾映画をDVDで観ました。

 小学生の時、学級委員のジェンシンは、クラスの問題児だったショウヘンと先生の言いつけで友人となる。
 数年後、同じ高校に進むと、ショウヘンは昔とは違いバスケ部で活躍もするし、女子にも人気が出たが、ジェンシンが新聞部で親しくなったホイジャに張り合うなど相変わらず大人気がない。
 ホイジャはジェンシンを台北へ遊びに誘い、一線を越えようとしたもののジェンシンは彼女を拒んでしまう。
 ホイジャは彼がショウヘンのことが好きで苦しんでいること知る。

 久々にぐるぐるもやもやする話に出会ってしまった!!!!
 何!何なのこの西村さんの好みの話!!!(笑)
 今時(といっても製作されたの2006年だけど)純真でスタンダードなBLですよ!!!!!!
 しかもありがちな役者がイマイチって事も無くて(小学生の時は可愛くないけど)どちらもアリ!!!
 これなら有!!!!
 ショウヘンがジェンシンのことばかり追いかけてて、何かにつけて「俺たち一番の親友だろ!」とスキスキアピール甚だしくて憎めない・・・

 その後は、3人とも台北の大学に進むんだけど、ショウヘンとホイジャはこっそり付き合ってて(ショウヘンはホイジャをジェンシンの元カノだと思っている)それを知らないジェンシンは相変わらず一人自分の感情に悩んでるんだけど・・・
 ねー、この女何なの?頭おかしいの??
 ジェンシンに拒まれて泣いてたくせに、その直後にショウヘンにキスされて付き合わない?って言われたら「大学に受かったら付き合ってもいい」とか言っちゃうんだけど・・・普通、ちょっと良いなと思ってもジェンシンの気持ちを知ってる以上、そんな風に返さないし、付き合ったりしないと思わない~?
 なんだか見ていてすごくもやもやした理由の一つは、このせいでした(おまけに顔が全く可愛くない)

(以下ネタバレ) 続きを読む>>