「マリー・アントワネットに別れを告げて」も、どこへも行けない朗読係の映画。
この間、WOWOWで、「マリー・アントワネットに別れを告げて」という映画を観ました(正しくは録画しておいたのを観た)
西村さん的には結構良かったのですが、ネットの感想を見たら世間では評価が低いみたい。
こう書くと「ベルサイユのばら」的な煌びやかな話を想像するみたいだけど、出て来るのは宮殿の隅っこの地味な従者の居住区ばかり。なので、期待外れという気持ちになるのは少々仕方ない。
マリー・アントワネットはポリニャック伯爵夫人を愛していて、それ故に首を切られそうになる彼女を逃がそうとするのだけれど、この部分は後半、殆どラストに近い頃になってようやく描かれる。ストーリーの中核となる部分(そして話のクライマックス)が最初から明かされているから、やっぱり期待外れ、という風に思えるのかもしれない。
でも、華やかさとはかけ離れたヴェルサイユでの生活と迫ってくる革命の足音。それに右往左往する貴族たち。
その中でただひたすらマリー・アントワネットを想い陛下のためならば、と仕事を厭わない主人公。
しかし想いは報われるはずもなく、言い渡される身代わり。
身代わりになるよう告げられた後、小間使い達に服を脱がされ全裸にされるシーンがあります。
これ、必要ないんじゃ?的なコメントがあったけど、自分はそうは思わなかった。
脱がされる時は抵抗し、脱がされた後は手で体を隠そうとする。
もし、アントワネットのために服を脱ぐように言われれたら抵抗はしなかっただろうし、ポリニャック夫人の身代わりではなくアントワネット自身の身代わりと言われたら、死ぬことさえ喜んだだろう。
失意のまま旅立とうとしてる主人公を追って来たマリー・アントワネットは、「あなたのことは忘れない」とポリニャック夫人に伝えて欲しいと言い、口づけをする。
この口づけもいらないのでは?と思われているけれど、やっぱり必要だったと西村さんは思う。
他の人の代わりであったとしても、本来ならば永遠に届かない、愛しい人からの口づけ。ただそれだけでもう、死さえ怖くない。人生を素晴らしいものだったと、諦められるくらいの幸福。
それがあったから、ずっとおどおどしていた主人公が、口づけの後は何者も恐れない、堂々とした、そしてサバサバした振る舞い出来たのだと思う。
ラストシーンは他国へ逃げ延び、「私は何者でもなくなる」というモノローグで終わる。
物語の途中、出自を仲間から尋ねられるシーンがあるけど、どうやら孤児という設定。
そんな女性が王妃の朗読係になれるのか、という突っ込みは・・・なれるんじゃないの?
主人公たちは直接雇用ではなく、貴族の主人が居て、その主人が王族に仕えている模様。主人が気に入られており、さらにその主人からの推薦があれば平気なんじゃないかなー
それはさておき、その孤児であり、王妃の読書係であり、ポリニャック夫人の身代わりであった彼女の誇りでありアイデンティティは、やはり<王妃の読書係>だったと思う。それが、命の危険から逃れられたことによって失われてしまい、<何者でもない自分>になってしまう。
この無常さが物悲しく、切ない。 続きを読む>>
西村さん的には結構良かったのですが、ネットの感想を見たら世間では評価が低いみたい。
王妃マリー・アントワネットに心酔している朗読係の女性。
フランス革命が起き、ヴェルサイユ宮殿から逃げるポリニャック伯爵夫人の身代わりになるよう命令される。
こう書くと「ベルサイユのばら」的な煌びやかな話を想像するみたいだけど、出て来るのは宮殿の隅っこの地味な従者の居住区ばかり。なので、期待外れという気持ちになるのは少々仕方ない。
マリー・アントワネットはポリニャック伯爵夫人を愛していて、それ故に首を切られそうになる彼女を逃がそうとするのだけれど、この部分は後半、殆どラストに近い頃になってようやく描かれる。ストーリーの中核となる部分(そして話のクライマックス)が最初から明かされているから、やっぱり期待外れ、という風に思えるのかもしれない。
でも、華やかさとはかけ離れたヴェルサイユでの生活と迫ってくる革命の足音。それに右往左往する貴族たち。
その中でただひたすらマリー・アントワネットを想い陛下のためならば、と仕事を厭わない主人公。
しかし想いは報われるはずもなく、言い渡される身代わり。
身代わりになるよう告げられた後、小間使い達に服を脱がされ全裸にされるシーンがあります。
これ、必要ないんじゃ?的なコメントがあったけど、自分はそうは思わなかった。
脱がされる時は抵抗し、脱がされた後は手で体を隠そうとする。
もし、アントワネットのために服を脱ぐように言われれたら抵抗はしなかっただろうし、ポリニャック夫人の身代わりではなくアントワネット自身の身代わりと言われたら、死ぬことさえ喜んだだろう。
失意のまま旅立とうとしてる主人公を追って来たマリー・アントワネットは、「あなたのことは忘れない」とポリニャック夫人に伝えて欲しいと言い、口づけをする。
この口づけもいらないのでは?と思われているけれど、やっぱり必要だったと西村さんは思う。
他の人の代わりであったとしても、本来ならば永遠に届かない、愛しい人からの口づけ。ただそれだけでもう、死さえ怖くない。人生を素晴らしいものだったと、諦められるくらいの幸福。
それがあったから、ずっとおどおどしていた主人公が、口づけの後は何者も恐れない、堂々とした、そしてサバサバした振る舞い出来たのだと思う。
ラストシーンは他国へ逃げ延び、「私は何者でもなくなる」というモノローグで終わる。
物語の途中、出自を仲間から尋ねられるシーンがあるけど、どうやら孤児という設定。
そんな女性が王妃の朗読係になれるのか、という突っ込みは・・・なれるんじゃないの?
主人公たちは直接雇用ではなく、貴族の主人が居て、その主人が王族に仕えている模様。主人が気に入られており、さらにその主人からの推薦があれば平気なんじゃないかなー
それはさておき、その孤児であり、王妃の読書係であり、ポリニャック夫人の身代わりであった彼女の誇りでありアイデンティティは、やはり<王妃の読書係>だったと思う。それが、命の危険から逃れられたことによって失われてしまい、<何者でもない自分>になってしまう。
この無常さが物悲しく、切ない。 続きを読む>>