宮尾登美子「櫂」読んだ。

 フランスパン焼いたり、シュトーレン焼いたり、本読んだり、友達と遊んだりしてました。
 こんばんは、西村さんです。
 ふと手を出した宮尾登美子が面白くて、「天涯の花」に続けて「櫂」を読んでしまいました。
 ミステリじゃないから殺人事件も密室も出てこないし、かといってラブラブなホモカップル(・・・)も出てこないのに、読むのが止まらなかった。
 特に「櫂」はちょっとだけ、と思って読み始めたら2時間とか経過して吃驚。こんなに止まらない本は久しぶりかも知れない。
 何でですかね、文章は凝ってないけど品があって、でも読みやすいからかな。

 フェミニストの西村さんとしては、宮尾登美子の書く主人公みたいに人生や男に流されてただ堪える、っていう考え方は我慢ならないはずなのに、不思議なくらいイヤじゃない。
 川端康成「雪国」なんか大嫌いなんだけどねぇ・・・川端康成の書く人と違って、宮尾登美子の場合は堪え続ける主人公の芯が強いのもあるし、彼女らにとって堪える事=媚びる事、ではないからだと思う。
 自分が悪いから耐える、でもなく、また嫌われるのが怖いから耐える、でもない。耐えるのは台風のように一過性の物で、耐えて過ぎてしまえば青空が出て、また何とか局面を変える事が出来るかも知れないから。
 つまりは、台風=男であり、怒る男を斑のある物、それでいて気まぐれだからそのうち気が変わる、と判断してる。耐える振りして実は良いように転がしてるんじゃないかしら。

 「櫂」は、好きになって嫁いだ岩伍を至らずに怒らせてしまう所や、浮気をして戻ってこないのを嘆く所がどうにも切ない。
 最後の方で主人公の喜和は50歳くらいにはなっているのだけれど、文章の端々から連れ添った夫婦だから未練がある、ではなく、好きだから戻って来て欲しい、という感情が読みとれる。
 そう言う部分が可愛くて、それ故に切ない。
 なので、喜和を離縁しようと考え、思いとどまった岩伍が、結婚したばかりの頃「この娘を貰って良かった」と感じたことを思い出すところに号泣。
 昔の話だから、好きじゃなくても結婚する事もあって、岩伍はそうだったのかな、と前半は思っていたからね。
 号泣するのは自分の感情を重ねるからだろうけれど、だからこそラストは幸せで終わって欲しかったのにな・・・ 続きを読む>>