かりかりのとんかつ。

 今日の夕ご飯はとんかつ。
 揚げ物この間もしたけど、アパートでするのもだんだん慣れてきた。
かりっとトンカツ。
 割と上手に揚げられたと思う(あまり揚げ物得意じゃない)

 この前新潟に行った時、カツ丼食べた。新潟のカツ丼は醤油ベースのタレにくぐらせる、タレカツと言うらしい。
 で、これを考案したと言われる店に行ったのだけど、そこのとんかつが脂身が少なくて、薄くて、かりっとしてた。
 豚肉を叩いて柔らかくしていて、それ故に薄くなるというので真似て叩いてみた(ヒレ肉だから最初から柔らかいんだけどさ)衣は自家製というか、余ったフランスパンと食パンを細かくした生パン粉。
 なかなか近い物が出来が様な気がする。とんかつとしてはあっさり目で食べやすい。
 薄いから火の通りも良いし、油が少なくて済むし良いね。
 たくさん作ったので、明日の夕ご飯はカツ丼にしようと思います。勿論醤油ベースのタレカツで(でも味付けは勘だけど) 続きを読む>>

クリムト「接吻」考。

 西村さんが好きなTV番組の一つに「美の巨人たち」があります。
 毎週、美術品を丁寧に解説・解釈していく、それでいて面白い番組。
 先週はグスタフ・クリムト「接吻」が取り上げられました。

 十代の頃はクリムトの絵は何だか好きになれなくて、正視したことがありませんでした。ちゃんと観るようになったのは本当にここ数年てとこ。
 何で好きになれなかったのかというと、たぶんの匂いを感じたからだと思う。
 決して画面にダイレクトに描かれていないのに、画面から香り立つ死。
 登場人物の青白い顔と、あの金色がそれを感じさせるのでしょう。思い返してみると、自分の中には金色=死のイメージがある。
 中尊寺金色堂もインカ帝国もツタンカーメンも全部死。金色はきらびやかでありながら怖い。だからクリムトも怖い。

 絵画は美しく、心穏やかになる物が好き。
 大好きなルネ・マグリットの絵は陰鬱な部分を含みながらも、決して死の絵ではないし、大多数が解釈次第では微笑ましく、美しいから好き。
 それ故に、クリムトを世間が言う程良いとも思えなかったのだけれど、最近は心境が変わったのか直視することも出来るようになり、まあ普通に良いかも、と感じられるようになった。

 で、「接吻」ですが。
 必ずと言って良い程、女性の表情の解釈に「恍惚」という単語が使われる。
 「美の巨人たち」でもそう表現されていたのだけれど、そこに違和感を感じます。
 恍惚なんてそんな単純な表情じゃない。
 もっと深い愛というか、魂の共鳴。
 「恍惚」という単語をどう捉えるかにも寄るのだけれど、辞書には
1 物事に心を奪われてうっとりするさま。「―として聴き入る」「―の境地」
2 意識がはっきりしないさま。
3 老人の、病的に頭がぼんやりしているさま。有吉佐和子著「恍惚の人」(昭和47年)により流行した。
 とある(ちなみにこれはネットの「大辞泉」)

 当然3は違う。
 2の意識がハッキリしない、というのもなんか違う。絵の女性はうっとりとはしてるけど、意識はちゃんとしてる、そんな表情。
 ならば残された1だけど、物事に心を奪われて、と言うのも違う気がする。喜びを感じてはいるけれど、キスに心を奪われている風ではない。 続きを読む>>