若冲といわきの今。
福島へは「若冲が来てくれました―プライスコレクション 江戸絵画の美と生命―」を観に行きました。
伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」を筆頭に、プライス夫妻が江戸絵画のコレクションを東北復興のために貸し出して下さっての展覧会。
岩手、宮城を巡回し、福島が最後。
恐らく、この先日本には里帰りしないと思うので、どうしても見たい!と思い行って来た。
あー、何だろう。
若冲の絵は凄いんだけど、目の当たりにして圧倒されるとかは無かった。むしろ馴染みがあって違和感がないっていうか・・・あまりに写実的で完成されていたせいだろうか。
その代り「やっとお会いできましたね」という気持ちになった。
他の作家に比べ、若冲は穏やかな画面の中に絵画に対する激しさが見え隠れしている気がする。
一つの対象物を何年もずっと観察し続けるだけの情熱を、知っているからだろうか。
「鳥獣花木図屏風」はタイル状に描かれているからか、やはり絵画と言う気がしなかった。
ガラス越しだったせいもあり、小さな動物まできちんと見えづらかったのが残念。
今回は単眼鏡が心底欲しいと思った・・・
「旭日雄鶏図」は観たかった鶏を題材としたもの。
凄く綺麗だったし、ちょっと離れると本物がいるみたい。
「鶴図屏風」も素晴らしいけど、同じ鶴なら「群鶴図」の方が距離が近かったせいかハッとした。
あと「芭蕉雄鶏図」の芭蕉の葉に光る水玉!本当にそこに水玉があって光っているように見える・・・墨一色なのに!!
MIHO MUSEUM収蔵の「象と鯨図屏風」も賛助出品されていて得した気分。
賛助出品は会場によっても違ったりするので、岩手も宮城も行きたかったなあ・・・
福島って意外と近いと思ったから、会期中にもう一度行ってもいいかも。展示品、前期後期で入れ替わるしね(その時は是非、単眼鏡を!!)
福島まで行ったのは、もう一つ別の目的もありました。
今現在、いわきがどうなっているのかこの目で見たい。
壊滅した四倉港は海水浴場でもあり、海開きをしたと聞いたけれど、どんな状況なのか。
2年前にお手伝いをさせて頂いた久ノ浜は現在どんな状況か、少しは復興したのか、あの場所にまだみなさん住んでいるのか。
本当はいわきに一泊したかったのですが、予定上難しく、ほんの数時間のただの寄り道となりました。
四倉ICで下り、そのまま四倉港へ。
道は問題なく、震災の影など感じないほど。
そして四倉港にはきちんと船があり、操業してた。
道の駅よつくらの建物は綺麗に再建されていました。
漁港の片隅に土砂が積まれていたのが、唯一の津波の名残。
新しくなった道の駅の前には震災前からある、コンクリート製の手作りの滑り台がまだありました。そして建物の柱には、子供たちの復興に対する思いが描かれ埋め込まれていた。
1階は以前と同じような直産物販売所。2階は海が見える綺麗なフードコートになっていたので、そこでお昼ご飯を食べました。
1階も2階も混んでて、嬉しかった。
砂浜は海水浴範囲が限定されていたけれど、その狭い範囲で足りるくらいの人しかいなかった。
駐車場にシャワーがあるのを確認出来たので、裸足になって海に入ってみました。海に浸かるの10年振りくらい?
ボランティアで休憩の時にここへ来て、堤防のところに座ってご飯を食べた。海には長靴で入った。それから何とか持ち堪えた道の駅で振舞っていたカレーを食べたりした。
砂浜には貝殻がたくさん落ちていて、それを拾ったりしたのだけれど、もしかしたらこれは津波で死んでしまった貝なのかもしれないと思っていた。けれど今日も貝殻はたくさん落ちていて、これはここの日常なんだな、と安心した。
ワカメなどの海産物を売っていたおばあちゃんが今日も入口に居たけれど、あのおばあちゃんはあの時もいた気がする。
今はまだ海水浴客は少ないけれど、いずれ人が増えるだろう。四倉は大丈夫だと感じて嬉しくなった。
その後、足を延ばして久ノ浜へ。
海沿いの住宅地なので被害が大きかった地区です。初めてお手伝いさせて貰ったのもこの地域のお家でした。
国道からこの辺りだったはず、と入った地域は全然変わっていませんでした。
いや、かろうじて堪えていた古い建物は取り壊され、そのまま住める築浅の家だけが残っていました。
海沿いの流されて基礎だけになった場所は、2年前と変わらずそのままだったし。
変わった点は海沿いに新しい堤防を築いていたこと、それと小さな神社の脇に「津波到達地点」の杭が打たれていたこと。
まだ全然復興していないこの地域は、堤防が出来ても、もう新しい家は建てられないのだろう。久ノ浜はこれからどうなるんだろう。
この地域が復興から置き去りにされている気がして、心配だ。
2年前、海は何もなかったかのように綺麗で悔しかった。
今日も海は綺麗で、とても悲しくなった。
次に来る時は素敵な海だと、素直に思いたい。
伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」を筆頭に、プライス夫妻が江戸絵画のコレクションを東北復興のために貸し出して下さっての展覧会。
岩手、宮城を巡回し、福島が最後。
恐らく、この先日本には里帰りしないと思うので、どうしても見たい!と思い行って来た。
あー、何だろう。
若冲の絵は凄いんだけど、目の当たりにして圧倒されるとかは無かった。むしろ馴染みがあって違和感がないっていうか・・・あまりに写実的で完成されていたせいだろうか。
その代り「やっとお会いできましたね」という気持ちになった。
他の作家に比べ、若冲は穏やかな画面の中に絵画に対する激しさが見え隠れしている気がする。
一つの対象物を何年もずっと観察し続けるだけの情熱を、知っているからだろうか。
「鳥獣花木図屏風」はタイル状に描かれているからか、やはり絵画と言う気がしなかった。
ガラス越しだったせいもあり、小さな動物まできちんと見えづらかったのが残念。
今回は単眼鏡が心底欲しいと思った・・・
「旭日雄鶏図」は観たかった鶏を題材としたもの。
凄く綺麗だったし、ちょっと離れると本物がいるみたい。
「鶴図屏風」も素晴らしいけど、同じ鶴なら「群鶴図」の方が距離が近かったせいかハッとした。
あと「芭蕉雄鶏図」の芭蕉の葉に光る水玉!本当にそこに水玉があって光っているように見える・・・墨一色なのに!!
MIHO MUSEUM収蔵の「象と鯨図屏風」も賛助出品されていて得した気分。
賛助出品は会場によっても違ったりするので、岩手も宮城も行きたかったなあ・・・
福島って意外と近いと思ったから、会期中にもう一度行ってもいいかも。展示品、前期後期で入れ替わるしね(その時は是非、単眼鏡を!!)
福島まで行ったのは、もう一つ別の目的もありました。
今現在、いわきがどうなっているのかこの目で見たい。
壊滅した四倉港は海水浴場でもあり、海開きをしたと聞いたけれど、どんな状況なのか。
2年前にお手伝いをさせて頂いた久ノ浜は現在どんな状況か、少しは復興したのか、あの場所にまだみなさん住んでいるのか。
本当はいわきに一泊したかったのですが、予定上難しく、ほんの数時間のただの寄り道となりました。
四倉ICで下り、そのまま四倉港へ。
道は問題なく、震災の影など感じないほど。
そして四倉港にはきちんと船があり、操業してた。
道の駅よつくらの建物は綺麗に再建されていました。
漁港の片隅に土砂が積まれていたのが、唯一の津波の名残。
新しくなった道の駅の前には震災前からある、コンクリート製の手作りの滑り台がまだありました。そして建物の柱には、子供たちの復興に対する思いが描かれ埋め込まれていた。
1階は以前と同じような直産物販売所。2階は海が見える綺麗なフードコートになっていたので、そこでお昼ご飯を食べました。
1階も2階も混んでて、嬉しかった。
砂浜は海水浴範囲が限定されていたけれど、その狭い範囲で足りるくらいの人しかいなかった。
駐車場にシャワーがあるのを確認出来たので、裸足になって海に入ってみました。海に浸かるの10年振りくらい?
ボランティアで休憩の時にここへ来て、堤防のところに座ってご飯を食べた。海には長靴で入った。それから何とか持ち堪えた道の駅で振舞っていたカレーを食べたりした。
砂浜には貝殻がたくさん落ちていて、それを拾ったりしたのだけれど、もしかしたらこれは津波で死んでしまった貝なのかもしれないと思っていた。けれど今日も貝殻はたくさん落ちていて、これはここの日常なんだな、と安心した。
ワカメなどの海産物を売っていたおばあちゃんが今日も入口に居たけれど、あのおばあちゃんはあの時もいた気がする。
今はまだ海水浴客は少ないけれど、いずれ人が増えるだろう。四倉は大丈夫だと感じて嬉しくなった。
その後、足を延ばして久ノ浜へ。
海沿いの住宅地なので被害が大きかった地区です。初めてお手伝いさせて貰ったのもこの地域のお家でした。
国道からこの辺りだったはず、と入った地域は全然変わっていませんでした。
いや、かろうじて堪えていた古い建物は取り壊され、そのまま住める築浅の家だけが残っていました。
海沿いの流されて基礎だけになった場所は、2年前と変わらずそのままだったし。
変わった点は海沿いに新しい堤防を築いていたこと、それと小さな神社の脇に「津波到達地点」の杭が打たれていたこと。
まだ全然復興していないこの地域は、堤防が出来ても、もう新しい家は建てられないのだろう。久ノ浜はこれからどうなるんだろう。
この地域が復興から置き去りにされている気がして、心配だ。
2年前、海は何もなかったかのように綺麗で悔しかった。
今日も海は綺麗で、とても悲しくなった。
次に来る時は素敵な海だと、素直に思いたい。
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