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「ゼロ・ダーク・サーティ」はホントにこれで候補?

 「セロ・ダーク・サーティ」観て来ました。
 今年のアカデミー賞候補作は(珍しく)たくさん観てるな。
 で、まあ感想ですが、「やー、コレに比べたら、『アルゴ』がアカデミー賞獲るのは当然だよなあ」です。
 米国同時多発テロ事件を起こした組織アルカイダを追うチームに、 一見CIAの分析官には見えない女性、マヤが移動してくる。
 拷問で情報を引き出す事も行うが、なかなか思うような成果は得られず、チームメンバーがテロに遭い、また自身も狙われるなど次第に八方塞がりの状況となっていく。
 しかし、重要人物を追ううちに、外からでは窺えない家の中にもう一人男がいることを突き止める。
 前半はアルカイダの重要人物を捜すストーリー。後半はビン・ラディンが居ると判断し、米軍が突入するストーリー。
 他国であるパキスタンに事前の通告もなく突入し、殺害に至ったのもやむなしと思えるだけの説得力が映画の前半には無いといけないと思うだけれど、それが全然感じられない。
 主役のマヤも大して活躍しないし、同僚が殺されたからと言って「あいつを殺して」みたいな事を言い出すのもおかしい。最初から「国を守る!」とか言ってるキャラクターならともかく、何のためにCIAに居るのかも語らないし、その心情の変化や葛藤が殆どない。
 単に映画を宣伝するために「女性がビン・ラディンを追いつめた」と煽ったのなら、止めるべきだったと思う。
 CIAがどうビン・ラディンの潜伏先を見つけ、殺害するに至ったかを描きたかったのであれば、映画という手口を使う必要はなかった。
 映画としての娯楽性も記録という信憑性も薄く、また何より「映画を通して伝えたい物」が感じられない。何を取っても程々で、どこにも傑出した部分がない、凡作になってしまったのはそれ故だと思った。

 ホントに何回も引き合いに出して済まないが、「アルゴ」も他国へ乗り込んでいく話ではあるけれど、あくまでも<こんな馬鹿げた作戦を本気でやったんだよ>という部分を伝える為に作られている。
 記録として本気で再現した部分も評価されたのだろうけど、そのくだらない作戦に命を掛けて、ちょっとしたスリリングを持った娯楽映画に仕上げたところが良かったのだ。
 やっぱり、アカデミー賞を獲るには「映画を通して伝える」気持ちが必要なんだと、歴代の受賞作品を見ても思ったのでした。

 余談ですけど、水責めの拷問って良くある手口なのかなー。
 たまたまコレを観た日の深夜、wowowで放送してた「ルート・アイリッシュ」という映画を観たのですが、これにも同じ水責めのシーンがあったのよ。
 ・・・ってwiki調べてみたら、あれはウォーターボーディングというやつで、メジャーみたい。米軍では捕虜になって拷問を受けた時のため、サバイバルトレーニングに取り入れられているようだし(返って拷問のやり方を教えているだけの気もするが)
 しかも米国では2008年にウォーターボーディングが拷問に当たるか否か、という議論が起き、水責め尋問禁止法案が出たと言うから、「ゼロ・ダーク・サーティ」の問題のシーンは観客には拷問に見えるけど、CIAは拷問による自白を行っていない、という好都合な使い方なワケですね(その法案も廃案になったようですが)

 世界には色んな拷問があるけど、日本のって以外と独自の気がする。
 「鬼平犯科帳」観てると石抱きも多いけど、会話では爪に針を刺して蝋を垂らすのも良く出てくる・・・そんなの想像しただけで自白するわ(苦笑)
 それにしても、そんな怖い拷問、良く考えるよね。

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だって読めないもん・・・ごめんね。

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