寂しがり。
何をするのも一人で平気。
遊ぶのも、ご飯食べるのも、旅行も、一人で平気。
寂しくなんかないし、冒険みたいで楽しい。
時には誰かと一緒も面白いけれど、基本一人の方が楽。
それは強がりなんかじゃないから、自分は寂しがりじゃないと思ってた。
でも、違うのかもしれない。
文庫版「女王国の城」をつい最近再読しましたが、作中でアリスが「いつも寂しい」「寂しくないのは忘れている時だけ」というような話をしている。
訳もなく寂しく、その隙間は埋まることなく、ただ誰かと一緒にいると忘れているから寂しくないだけ。
「女王国の城」を初めて読んだ時、その下りがあまりに切なく、理解出来るような気がした。
そして、数年経って、再び納得している。
自分の寂しさや悲しみの根元はそれなのだと。
きっと人が友達と連むのも、恋人が欲しくなるのも、根本的な寂しさのせい。
悲しくなるのは寂しさを埋められないから。
自分の中の寂しさに気付いてしまって、最近寂しくなることが多い。
引っ越ししてから暫く寂しかったのは、寂しさを忘れさせてくれる家族や犬と初めて離れたからだろう。
段々、生活をするにしたがって他の事で忘れるようになって行っただけで、寂しさに慣れたわけでも、寂しくなくなった訳でもないのだと思う。
人によってはその根元的な寂しさに気付いていない人もいるのだろうけど、夕日を見て切なくなったり、桜が綺麗に咲いているのに寂しくなったり、幼くても寂しい歌を理解出来るのは、人間が根本的に寂しさを持っているから。
誰かを強く抱き締めたくなるのも、深く交わりたいと思うのも、一体になって寂しさを埋めたいせいなのかも。
だけど、どれだけ頑張っても他者と一体になることは出来ないから、きっと隙間も埋められない。
それが判るから、「誰か」で隙間を埋めようとは思えない。
無理に埋めようとしたら、逆に埋まらないことに気付いてさらに寂しくなる。
寂しさを忘れさせる何か。
それが最近、無性に欲しい。
遊ぶのも、ご飯食べるのも、旅行も、一人で平気。
寂しくなんかないし、冒険みたいで楽しい。
時には誰かと一緒も面白いけれど、基本一人の方が楽。
それは強がりなんかじゃないから、自分は寂しがりじゃないと思ってた。
でも、違うのかもしれない。
文庫版「女王国の城」をつい最近再読しましたが、作中でアリスが「いつも寂しい」「寂しくないのは忘れている時だけ」というような話をしている。
訳もなく寂しく、その隙間は埋まることなく、ただ誰かと一緒にいると忘れているから寂しくないだけ。
「女王国の城」を初めて読んだ時、その下りがあまりに切なく、理解出来るような気がした。
そして、数年経って、再び納得している。
自分の寂しさや悲しみの根元はそれなのだと。
きっと人が友達と連むのも、恋人が欲しくなるのも、根本的な寂しさのせい。
悲しくなるのは寂しさを埋められないから。
自分の中の寂しさに気付いてしまって、最近寂しくなることが多い。
引っ越ししてから暫く寂しかったのは、寂しさを忘れさせてくれる家族や犬と初めて離れたからだろう。
段々、生活をするにしたがって他の事で忘れるようになって行っただけで、寂しさに慣れたわけでも、寂しくなくなった訳でもないのだと思う。
人によってはその根元的な寂しさに気付いていない人もいるのだろうけど、夕日を見て切なくなったり、桜が綺麗に咲いているのに寂しくなったり、幼くても寂しい歌を理解出来るのは、人間が根本的に寂しさを持っているから。
誰かを強く抱き締めたくなるのも、深く交わりたいと思うのも、一体になって寂しさを埋めたいせいなのかも。
だけど、どれだけ頑張っても他者と一体になることは出来ないから、きっと隙間も埋められない。
それが判るから、「誰か」で隙間を埋めようとは思えない。
無理に埋めようとしたら、逆に埋まらないことに気付いてさらに寂しくなる。
寂しさを忘れさせる何か。
それが最近、無性に欲しい。
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