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「闇の喇叭」の素晴らしさを語る。

 まだ「闇の喇叭」の話、しますよ!

 既に書いたけど、この世界観なら普通の小説で終わってしまうところ、あくまでもミステリを貫き通すのが凄い。
 短、中編ならともかく、長編でその背景(特に歴史)がしっかり作り込んであればあるほど作者はそこに入れ込むし、作った世界をくまなく見せたいと思いがち。
 まー、面白いもんね、設定作るのって。だから設定だけ作って話を書かないアマチュア作家がたくさん居る訳だけど。
 半分は現実の世界、半分は創作の世界。
 ファンタジーのように逐一世界を説明する必要もなく、かといって説明がなければその世界の異様さは判りづらい。
 虚実のバランスが実に巧み。
 普通であればもっと独自の世界を構築したくなるはずなのに、日本が二つに分断されていること、探偵行為が禁じられていること、その他いくつかの差異だけに終止している。
 それ故に、読者に自然と現実を照らし合わせさせ、異様さが際立つようになる。

 有栖川先生の持ち味の一つに、ミステリ作家としては希有な文章の上手さがあります。
 ミスリードの仕掛け方が巧みであるというのは当然だけど、単純に文章が美しい。
 サクサク読める文章でありながら、流暢。
 以前はライトな小説だったが、最近は文学作品の様相を呈していると思う。
 特に語彙の豊富さには舌を巻きます。一冊に一回は生まれて初めて目にした単語が必ず出てくる。
 少し硬質で、少し悲哀を帯びている文章が世界観そのままで、読み始めてすぐに引き込まれます。

 それ故に終章は胸を捕まれたような気持ちになる。
 なんと美しく、なんと悲しい。しかしその世界は終わりではなく、探偵が開けた穴は始まりの扉。
 そう考えてみるとラストの文章は薄暗くはなく、むしろ暖かく柔らかな光を帯びているように感じる。
 そしてそれは作家本人の優しい眼差しそのものなのだろう。
 ミステリは決して犯人が捕まって終わる物語ではない。世界をリ・スタートさせる手段なのだ。

 感想というより比較。

 読んでいる途中、なんかこういうちょっと暗い世界の小説あったよなーと考えたら、「リアル鬼ごっこ」がそんな感じ。
 いや、比べるのが有栖川先生に対して大変失礼である。アレは「小説みたいなやつ」だからね!!それに引き替え有栖川先生のは文学・・・いや、芸術作品?っていうかむしろ国宝??
 戯言はおいといて(本気だけど)「リアル鬼ごっこ」はぺらぺらの世界に現代の日本を載せて、仮想の敵を配置した物語。
 だからそのぺらぺらの下敷きを一枚めくると見えるのはただの机。
 「闇の喇叭」は一枚めくっても二枚めくっても世界は変わらず続いていく。
 自分の作った世界を提示することに引きずられてご都合主義的に作られた物語と、世界は世界として存在するのみで主体は主軸となるミステリの物語。
 似たような暗さを内包し、同じ「小説」というカテゴリに含まれながらも作家によってこれほどまでに差が生まれる。
 わたしは有栖川先生のファンで良かったな、と心から思う。

 そして正体のわからない相手と戦わなくてはいけないと言う点、家族が消えたという点で恩田陸の「エンドゲーム」もちょっと似てるかも、と思った。
 でも、「エンドゲーム」こそその世界に酔うだけの話だったので、「闇の喇叭」を読んでしまった今は凄く残念に思える。
 やっぱり有栖川先生のファンで良かったと思うのでした。

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だって読めないもん・・・ごめんね。

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